西野美帆(にしの みほ|MIHO NISHINO)
人生の決断は、自分の座標がどこにあるかで変わります。
ピュアなハートからの座標を定めると内側から力が溢れ出します。
幼い頃から、人の奥にある想いや本質を感じ取る感覚を持っていました。
亡くなった祖母を恋しがる母のそばにいると、祖母の言葉が聞こえてくることがありました。
「おばあちゃんはこう言っているよ」と伝えると、母は安心した顔になり、元気を取り戻していました。
しかしその能力は、母から「外では出さないで」と言われ、長い間、内側にしまって生きることになります。
学生時代、本当は英語を使って世界で生きたいという夢を持っていました。
しかしその道を一度諦め、地元企業に就職します。
待遇も良く、安定した環境でした。
けれどある日、ふと自分に問いかけました。
「本当にこのままでいいの?」
その問いが、人生を動かしました。
翌日には英会話スクールへ申し込み、海外留学を決意。
しかしその矢先、母が鬱になります。
ひとり娘として母を置いて海外へ行くことへの葛藤は大きなものでしたが、最終的に私はこう決めました。
「自分の人生は、自分で決める」
父に母のケアをお願いし、オーストラリアへ渡ります。
日本人がほとんどいない村で日本語教師として働きながら生活し、大自然の中で人生を楽しむオーストラリアの人々に囲まれながら英語力を磨きました。
帰国後は半導体通訳として抜擢され、アメリカと日本を行き来する現場立ち上げメンバーとして働く機会を得ます。
約10名のチームの中で女性は私ひとりという環境でした。
やりがいも待遇も申し分ない仕事でしたが、ある違和感が芽生えます。
「この環境に甘えてはいけない」
その直感に従い、再びオーストラリアへ渡る決断をしました。
二度目のオーストラリア生活では、永住権取得を目指しながら専門学校に通い、調理師として働き、英語試験の勉強と家事を同時にこなす生活が始まります。
しかし現実は厳しく、経験ゼロからのスタートで皿洗いの仕事すらもらえず、最初の2ヶ月半は無給で働く日々でした。
精神的にも肉体的にも限界を感じる中で、
「自分を自分で立て直す力」を求めてヒーリングを学び始めます。
その過程で出会ったスペイン人のサイキックの女性に、こう言われました。
「MIHOのミディアムの能力はギフト。人のために使った方がいい。」
その言葉をきっかけに、幼い頃から感じていた感覚の意味を受け入れ、サイキックミディアムとしての能力を磨き始めました。
オーストラリアという大自然の国で、ヒーリングやフラワーエッセンスを学びながら、
- 人はなぜ迷うのか
- 人生の本来の方向とは何か
- 人が本当に前に進む瞬間はどこにあるのか
という問いを探求し続けました。
その後、日本へ帰国。
自分の感覚と経験をもとに起業します。
貯金10万円で上京、知り合いもいない状態からのスタートでしたが、人との信頼関係と口コミによって仕事は広がり、月収7桁を達成することもありました。
しかしその一方で、
「私がやらなければならない」
という責任感に縛られ、身体に痛みが出るほどのプレッシャーを感じるようになります。
そこで私は一度立ち止まりました。
売上を追うことも、ビジネスを広げることも一旦やめ、
自分の内面と身体を整えることに数年集中したのです。
その時間の中で気づいたのは、
自分の強みは単なるスピリチュアル能力ではないということでした。
幼い頃からの直感力と洞察力。
そして、学生時代から未来を見据えて戦略的に積み上げてきた経験。
この二つが重なり、
人の人生の「座標」を見抜く力
になっていたのです。
外側の期待や責任に動かされる生き方から離れ、
主導権を自分の内側に戻したとき、
人生の意思決定は驚くほどシンプルになることを、私は体験しました。
現在は、
サイキックミディアムとしての洞察力と
実体験に基づく戦略的思考を掛け合わせ、
ピュアはハートから意思決定の座標を整えるセッション
を提供しています。
経営者やリーダーが迷う瞬間は、
能力が足りないときではありません。
本来の座標からズレたときです。
座標が整うと、
決断は自然に定まり、
行動に無駄な力がいらなくなります。
「ピュアなハートからの座標で生きる」
これは私自身が人生を通して体得してきたテーマです。
自分の本来の位置に戻り、
本当に進むべき人生の方向を思い出す。
そのプロセスを、
これから出会う人たちとともに磨き続けていきたいと思っています。
次の決断の前に、
自分の座標を静かに整えたいと感じたとき、
その時間をご一緒できれば嬉しく思います。
すべての決断は、
自分の座標から始まります。