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【夢を叶えた!海外に飛び出していったStory】アメリカでの半導体通訳!

日本語教師ボランティアから帰ってきて1年後

28歳の時に

偶然見つけたエンジニアリング会社が募集している

通訳の求人に応募しました。


面接にいくと

「来年アメリカに半導体装置を搬入するから

その立ち上げメンバー数名(全員男性)と一緒に

アメリカにいってくれる?

リーダーはすごい仕事ができるいい人だから。」


わたし

「はい、行きます、楽しそうですね。」と


当時そんなに高い英語力でもなく

半導体って何か全くわからないのに

迷いもなく返事をして

決まりました。


度胸だけはあるね。(笑)




今思えば

あの年齢だから何も考えずにできたなということと

あの時の経験が今のわたしをつくっている


現場通訳として度胸試される場でやるしかないでやってみる

わからないことをひたすらコツコツ努力でカバーする

男性の中で女性一人というハードな環境でやる

アメリカでの生活(長期ホテル生活、家を借りて生活)

とにかく広いし、全て大きい



あの時やれたんだから

っていう経験って強みかな。



当時150億円くらいの案件を

立ち上げるのに

10名ほどのメンバーで

上司、メンバーに入った技術者さん全員

サイヤ人並みに仕事ができる人のみで構成されていて



お互いをリスペクトするところや

みんなの経験値の高さとか

段取りとか仕事へのあつ〜い熱とか浴びさせてもらって

毎日いろんな意味で充実していました。




装置のこととか技術用語が

理解できない自分に向き合ってトイレで泣いてたな〜




リーダーとして引っ張ってくれる上司の存在は

本当に大きくて

新入社員でもベテランでも関係なく

平等に接して丁寧に話を聞いてくれるところとか

腹を割って話す

効率よりもチームワークを大切にしていたところとか

将来こんな人になりたいな!ということを

たくさん見せてもらいました。


わたしは「人と人を繋ぐ」のが得意

やっていて充実感があって

嬉しい気持ちになったのも

今のお仕事と同じですね!

アメリカに住んでからは遊びもみんなで行って

当時はイチロー選手がマリナーズにいたので観に行ったり



ツアーの宮里藍選手のゴルフも印象的でした!

わたしと同じ身長でどんだけ飛ぶんだ〜!!フォームも綺麗でリスペクトしてます!

SANYO DIGITAL CAMERA


たった2年間ほどでしたが

とても濃いお仕事で

今でもあの時のことを思い出すと

本当に優しくしてもらい

成長させてもらえた

仲間にありがとうと

いう気持ちが溢れます。


また

みんなに改めてお礼をいいたいな!

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