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【夢を叶えた!海外に飛び出していったStory】(たった一人でオーストラリア田舎の日本語教師)

20代から行き始めた海外は記憶にあるもので

ハワイ(ハワイ島、オアフ島)デンマーク

インドネシア(バリ島)、オランダ

オーストラリア(シドニー、ゴールドコースト

ヤプーン、コロワ、ブリスベン、エアーズロック)

ニュージーランド(クライストチャーチなど南側)

アメリカ本土(カリフォルニア、ポートランド、バンクーバー)

カナダ(ビクトリア)、UAE(ドバイ)

があります。

2003年

わたしはオセアニア交流センターという会社を通して

日本語教師ボランティアとして

オーストラリアのコロワという人口5000人

それもアジア人すらいない村の

公立小学校に派遣してもらいました。



ホストマザーは学校の先生で

「You are brave」(あなたは勇敢ね)と

よく褒めてくれました。笑

だってそのころのわたしの英語力は

Intermidiate(初級)だったんですもの。笑

なのに全校生徒450人のクラスを受け持ち

日本語を教えようなんて。

ってことだったんでしょうね。

久しぶりに思い出しましたが

一番最初の授業は確か4年生クラスで

わたしの日本語英語の発音が誰にも

(先生さえ!)聞き取って

もらえず、ポカーンと口を開けていました。

泣きそうになりましたね。


オーストラリアの田舎の小学校は

芝生の校庭があって裸足で走る子どもの姿に

やっぱり子ども時代はこうやって過ごすのがいいよね!

MINOLTA DIGITAL CAMERA


小学5年生からdevete(討論)クラスがあり

「わたし、僕はこう考えてる!」が

できているのに驚き

とか

幼稚園児の方が単語覚えるのはやーい!し

6年生にもなると大人と話してるみたいに

しっかりしてるし!
 

驚きの連続の毎日でした

ちっちゃい村なので見つかると遠〜くから

生徒が「Miho〜〜〜!!」と叫びながら走ってくるのが

可愛くて面白かったです。

半年間の先生生活でかなり英語力は鍛えられ

書いた単語帳は3冊

日常会話はほぼ支障なくなりました。


正直最初の1ヶ月はオージー英語が聞き取れず

泣いたこともありましたけど



強がりなわたしが


「聞き取れないし伝えられない」と

ホストマザーの先生に正直に話せて


「ゆっくり話すようにするね」と言ってくれたこととか

人種関係なく対等に接してくれた先生たちに感謝しかなくて

いまでも第2の家族

コミニュケーションは言語を超えて

ハートで繋がるという体験ができたのも

この勇気あるボランティア体験のおかげです。

こちらに同時のわたしの体験談がまだ載っています。
https://www.koryu.co.jp/narrative/case002.html




最後は全員参加の

ジャパニーズフェスティバルを企画し

先生方にも助けていただき

こども達のたくさんの笑顔が見れてよかったです!

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