あの時、伝えられなかった言葉が教えてくれたこと


男子バレーボールの日本代表 vs フランス戦をテレビで観戦していました。


去年よりもさらに一人ひとりが成長し、どの選手が出ても安心できるような、支え合いのチームに。レベルがまた一段と上がっているなあと感じながら、夢中で観ていました。

オリンピックでは決勝進出をかけエースの石川選手にボールが集まるも決めきれず点差をリードしていたのに、追いつかれ、逆転されて敗れてしまいました。



涙を流す選手たちの姿を見て、私も自然と涙があふれてきました。

「なんとか勝たせてあげてほしい!」

そう叫びたくなる気持ちが込み上げ、気づけば、私自身の中学時代の記憶と重なっていたのです。

中学時代、私は「優勝して当たり前」と言われる強豪バレーボール部に入部しました。

小学生の頃から経験がある選手や背の高い子が多い中、背が低かった私は、レギュラー入りのために必死で努力していました。



家では壁打ちをしたり、父にお願いしてトスの練習をしてもらったり。とにかくレギュラーになることだけを目標に頑張っていました。

運よく、先生の目にとまり、今で言うリベロのポジションでレギュラーに。初めての決勝戦。

リードしていた試合。しかし、途中でエーススパイカーの調子が急に崩れ、スパイクは外れ、ブロックされ、気づけば逆転されての敗戦。


「彼女が一番つらいだろう」と思って、私は何も言えませんでした。そっとしておこうと距離をとり、ただ黙っていたのです。


その試合以来、私たちは「優勝候補に勝てないチーム」になってしまいました。


顧問の先生は絶対的な存在で、チームメンバーから意見を出すような雰囲気ではなく、どこか「自分の気持ちを飲み込む」ことが当たり前の空気の中で、


私はバレーボールを「もうやりたくない」と言っていました。当時はなぜやりたくなくなったかが分かっていませんでした。

そんな過去を最近、ライフコーチのパートナーと話していたときのこと。

彼がふとこう言ったのです。

「その試合のあと、エースの子に伝えたかったことがあるんじゃない?」

私は、はっとしました。

あのとき――

「一人で背負わせてごめんね。あなたのせいじゃないよ。私ももっとレシーブ頑張るから、一緒にやろうね」

そんな言葉を、もし伝えていたら。

彼女をエンパワーすることができたかもしれない。結果が変わっていたかどうかは分からない。でも、私たちの気持ちは、きっともっと前を向けたはず。そう思えたのです。


今、私は「人にエンパワーメントの言葉を届ける」仕事をしています。

その原点が、あのときの経験にあると、ようやく気づきました。

私はバレーボールが嫌いになったわけじゃなかった。

あの試合のあと、本音を伝えられなかった自分が悔しかった。それが、封印された感情としてずっと心に残っていたのです。

何十年も会っていないけれど、あのエースの子に会えたら伝えたい。

「一人にプレッシャーをかけてごめんね。あの時、言葉をかけられなかったことをずっと後悔していたんだよ」と。


チームワーク。信頼。思いやり。

そして、相手を信じ、言葉で力を与える「エンパワーメント」。

それは私の人生にとって、とても大切な価値観になっています。

クライアントさんとも、私は常に「チーム」だと思っています。

どんな言葉が相手の心に届くか、どんな私の姿勢が希望を灯せるか。これからもその力を磨き続けたいと、強く思っています。

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